御松庵
- 【教導】
- 31世 藤井教淳
- 【旧本寺名】
- 身延久遠寺
- 【旧寺格】
- 紫
- 【本尊勧請様式】
- 一塔両尊四士
- 【仏像】
- 宗祖坐像 釈迦・多宝・四菩薩・四天王・文殊・普賢・不動・愛染 宗祖立像・坐像(昭和3年厨子入) 鬼子母神 妙見菩薩立像・坐像 七面天女像
- 【寺宝】
- 棟礼1枚 勝海舟書跡題目
お問い合わせなど
- 【所在地】
- 〒145-0063 大田区南千束2-2-7
- 【電話】
- 03-3729-2338
沿革
弘安5年(1282)の創立。開山持法院日慈。
弘安5年9月8日に身延を出て常陸国に向かわれた宗祖が、途中池上宗仲邸に立寄るために同18日この地にさしかかり、池畔の老松に袈裟を掛けて休まれ、この池で手を洗われたという。袈裟掛の松は広重の「名所江戸百景」の一つに描かれ、そこに建てられた庵が、御松庵と名付けられた。
妙福寺は開山日慈が日本橋馬喰町に建立し、明暦3年の江戸の大火で焼失。のち浅草永住町に移転再建。大正12年関東大震災で焼失し、翌13年再建。
昭和2年に現在地に移転、御松庵と合併。翌3年より昭和43年の間に堂宇を次々に再建した。御松庵は池上本門寺の末寺である久が原本光寺の庵室であったが、嘉永3年(1850)頃に堀の内妙法寺に変わった。
祖師堂は平成14年6月25日、文化財保護法第五十六条の二ノ一項の規定により文化財登録原簿に登録された。
弘安5年9月8日に身延を出て常陸国に向かわれた宗祖が、途中池上宗仲邸に立寄るために同18日この地にさしかかり、池畔の老松に袈裟を掛けて休まれ、この池で手を洗われたという。袈裟掛の松は広重の「名所江戸百景」の一つに描かれ、そこに建てられた庵が、御松庵と名付けられた。
妙福寺は開山日慈が日本橋馬喰町に建立し、明暦3年の江戸の大火で焼失。のち浅草永住町に移転再建。大正12年関東大震災で焼失し、翌13年再建。
昭和2年に現在地に移転、御松庵と合併。翌3年より昭和43年の間に堂宇を次々に再建した。御松庵は池上本門寺の末寺である久が原本光寺の庵室であったが、嘉永3年(1850)頃に堀の内妙法寺に変わった。
祖師堂は平成14年6月25日、文化財保護法第五十六条の二ノ一項の規定により文化財登録原簿に登録された。
信行会・行事
- 毎月8日に八日講を行っております。
定期行事
行事内容 | 日時 | 対象など |
---|---|---|
春季彼岸会 | 春分の日 11時 | 檀信徒のみ |
花まつり | 4月8日 13時 | 檀信徒のみ |
盂蘭盆施餓鬼会 | 7月16日 | 檀信徒のみ |
秋季彼岸会 | 秋分の日 11時 | 檀信徒のみ |
宗祖御報恩会式 | 10月17日 | 檀信徒のみ |
節分会 | 2月3日 13時 | 檀信徒のみ |
紹介動画
寺院データ
供養内容 | 日時、お申し込みなど |
---|---|
塔婆供養 | 要問合せ |
施設 | お申し込みなど |
---|---|
分譲墓地 | 要問合せ |
見どころ
- 毎年7月16日夜 7:30〜8:00 まで洗足池でとうろう流しを行っております。
史跡、文化財など
- 祖師堂は国の登録有形文化財
- 日蓮上人袈裟掛けの松(安藤広重の江戸百景に描かれています)
- 竹やぶが見事です
- 日蓮聖人が見延山から常陸の温泉に向かわれる途中、公安五年(1282)9月18日千束池を御通りがかりになりました。兼ねて聖人に信伏しておられた池上右衛門大夫宗仲の館もちかづき、そのうえ、丘と水のおりなす池の絶景に思わず馬を止められ、旅装束をといて、池畔の老松に法衣をかけ、澄みきった池水で手足をお洗いになりました。これが洗足池の名のおこりです。
- その瞬間不思議なことに波1つたっていない水面が俄に渦を巻きはじめ、蛇形をなして水柱となるや、中から眉間白毫相の光を放つ天女がご出現、聖人合掌して御題目をおとなえあそばせば「九年間聖人を守護して参りました見延七面山頂の湖水に住む水神七面天女遥遥道中のため御守護してお供して参りました」とお明かしになりました。聖人これに応えて法華経提婆達多品を読誦されるや、法華経を信ずる者を末法末永く加護することを御宣言になり水中に消え失せられました。時の舎人このことを後世に伝えようと聖人御入滅後にこの地に来たって小堂を営み七面天女を安置しました。これが当山のはじまりであります。