赤門のお寺
- 【住職名】
- 38世 市川智康
- 【旧本寺名】
- 池上本門寺
- 【旧寺格】
- 平 芳師法縁
- 【本尊勧請様式】
- 一尊四士(施無畏印 ・昭和41年=1966)
- 【祖像】
- 説法像(慶長17年=1612)
- 【寺宝】
- 日蓮聖人真筆遺文断簡・法華文句七行 法華経分別功徳品紺紙金銀泥写経一紙 光明皇后五月一日経 宗祖坐像(寄木造彫造・願主石井新右衛門尉・区文化財) 釈迦像(昭和41年) 七面天立像(昭和30年) 四菩薩立像(昭和47~50年) 日深(寛永2年)・身延36世日潮(延宝8年・元文2年)・真間21世日行(寛保2年)・真間72世日円・本圀寺日解(宝暦5年)・池上68世日亀(明治35年)・池上70世日迦・池上74世日慎・誕生寺67世日誘・池上79世日威・池上80世日淳本尊
お問い合わせなど
- 【所在地】
- 〒144-0052 大田区蒲田4-18-15
- 【電話】
- 03-3738-5236
沿革
小田原北条氏の有力家臣弾正ゆかりの寺院である。『新編武蔵風土記』や寺伝等によると、永禄年間(1558~70)に地頭行方修理亮義安が戦死したのち、その側室円光院殿妙安日行大姉が兄斉藤政賢の屋敷内に庵室を結んだのが当寺の始まりと伝える。
妙安尼は池上本門寺11世仏寿院日現に深く帰依しその教化で法華信仰に入ったと思われる。日現は永禄4年(1561)66才で没した。
妙安尼は大正17年(1589)に没したが、その後間もなく日現を開山、妙安尼を開基として開創された。
当寺の祖師像は銘文によると慶長17年(1612)の造立であり、妙安尼の供養塔は寛永20年(1643)に建てられていることから、この間には寺になっていたと思われる。
大正6年本堂建立。昭和6年客殿建立。昭和20年4月15日戦災で「赤門の寺」の由来である朱塗門を残して焼失。しかし、再度の空襲で同年4月26日朱門も焼失。昭和40年に本堂、昭和47年客殿を再建。
26世円智院日篤は京都鷹ケ峰檀林文講337世へ。
12世玄首院日健は飯高檀林106世・真間山弘法寺23世から。
毎月一回ハガキ教箋布教。毎月12日題目講。
妙安尼は池上本門寺11世仏寿院日現に深く帰依しその教化で法華信仰に入ったと思われる。日現は永禄4年(1561)66才で没した。
妙安尼は大正17年(1589)に没したが、その後間もなく日現を開山、妙安尼を開基として開創された。
当寺の祖師像は銘文によると慶長17年(1612)の造立であり、妙安尼の供養塔は寛永20年(1643)に建てられていることから、この間には寺になっていたと思われる。
大正6年本堂建立。昭和6年客殿建立。昭和20年4月15日戦災で「赤門の寺」の由来である朱塗門を残して焼失。しかし、再度の空襲で同年4月26日朱門も焼失。昭和40年に本堂、昭和47年客殿を再建。
26世円智院日篤は京都鷹ケ峰檀林文講337世へ。
12世玄首院日健は飯高檀林106世・真間山弘法寺23世から。
毎月一回ハガキ教箋布教。毎月12日題目講。
定期行事
行事内容 | 日時 | 対象など |
---|---|---|
春季彼岸会 | 中日 | (茶菓子接待) |
花まつり | 4月8日 | (花御堂・甘茶) |
盂蘭盆施餓鬼会 | 7月11日 | (昼食) |
秋季彼岸会 | 中日 | (茶菓子接待) |
宗祖御報恩会式 | 10月20日 | (おでん等接待) |
除夜会 | 12月31日 | (甘酒等・除夜の鐘) |
新春祈祷会 | 1月1日 |
紹介動画
寺院データ
供養内容 | 日時、お申し込みなど |
---|---|
塔婆供養 | 随時(事前に問合せ必要) |
年間供養 | 随時(事前に問合せ必要) |
水子供養 | 随時(事前に問合せ必要) |
永代供養 | 随時(事前に問合せ必要) |
供養内容 | 日時、お申し込みなど |
---|---|
年間祈願 | 随時(事前に問合せ必要) |
交通安全 | 随時(事前に問合せ必要) |
七五三 | 随時(事前に問合せ必要) |
施設 | お申し込みなど |
---|---|
分譲墓地 | 随時(事前に問合せ必要) |
見どころ
- 「花のお寺百選」
史跡、文化財など
- 日蓮聖人坐像(大田区文化財)
- 妙安尼供養塔