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南之院 (みなみのいん)
山号: 長栄山
住職: 57世 伊澤文彦 |
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【所在地】 〒146-0082
大田区池上2-11-15
【電 話】 03-3754-3730
【住職名】 57世 伊澤文彦
【通称】 南之坊
【旧本寺名】 池上本門寺
【旧寺格】 素 池上・芳師 (樹下庵)法縁
【本尊勧請様式】 一尊四士
【祖像】 座像 (大正年間=1912〜26)
【仏像】 木造一尊四士 日昭坐像 (延宝3年=1675年) 毘沙門天 鬼子母神 鬼子母神 (元禄2年=1689)
【寺宝】 狩野家歴代位牌 内陣天井絵「天龍」(狩野探玄筆)
【沿革】
弘安5年 (1282) 9月の創立。開山六老
僧大成弁阿闍梨日昭。弘安5年9月、宗祖に随従してきた日昭が創立した庵室。古くは大成弁院と号し、日朗が鎌倉にいる時は日昭が当坊に住して本門寺を守ったと伝えられる。江戸期になると幕府の絵師狩野家の菩提所となり隆昌した。狩野孝信の宝篋印塔 (元和4=1618年建立)、狩野貞信の五輪塔 (元和9年)、狩野探幽の墓 (延宝2年=1674) がある。
狩野探幽は慶長7年 (1602) に生まれ狩野派の中興の祖と称され慶長19年 (1614) に江戸に出て幕府に仕え出家し守信を探幽と改名す。宮内郷法印に叙せられ土佐派から狩野派を武家絵画に移行させて狩野派繁栄の基を築き、延宝2年(1672) 10月7日72歳で没した。代表作に京都二条城二の丸殿障壁画 (重文)・名古屋城本丸殿襖絵 (重文)・日光東照宮陽明閣 (雲龍図・国宝)・身延山久遠寺旧書院法眼の間 「花鳥図と人物図」障壁画 (重文) がある。仏祖統紀には隼人成親と狩野元信共に久遠寺画筆を勤むとある。更に探幽の墓は没後翌年子息探信、探雪により建立された二坦の基坦石に繰形座を設け、長方形の碑石に笠と、かなり大きく立派な墓石である。正面はお題目と探幽号 「玄徳院日道」 と刻まれ裏面には林鵞浄の撰になる長大な碑文がある。拓本のためか磨滅の状況にあるが一探幽齋狩野守信碑誌并銘」 としても知られた名墓である。大正8年東京市文化財に指定されている。なおその石塔の左横にもう一基探幽の墓石がある。反花座の上に瓢箪型の墓石があり玄徳院殿前法眼守信日道とあり、法号の脇に法印と二文字が刻まれている。これは昭和11年目目黒永隆寺 (天台宗) から改葬された分骨墓である。
43世慈静院日好は大森大林寺38世へ。44世能恭院日成は大林寺37世へ。46世大慈院日bは龍口寺6世へ。47世中王院日淵は村松海長寺60世へ。48世慈洽院日完は品川蓮長寺42世へ。53世慈教院日進は芝承教寺44世へ。55世伊澤日祐は本山大坊本行寺48世へ。
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当寺院までの地図
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