伝える…次世代へのアプローチ

日蓮宗東京都南部宗務所
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「伝える」ための実践講座 第4回報告
主催;
日蓮宗東京都南部宗務所
企画;東京都南部教化センター
共催;東京都南部 布教師会・修法師会・社会教化事業協会・声明師会

 東京都南部宗務所では、平成15年度日蓮宗布教方針「伝える一次世代へのアプローチ」を
念頭に、現場の教師同士でいかに「伝える」かを話し合う機会として、「『伝える』ための実践
講座」を開講することになりました。法要・法話・教学・修法・社会教化をテーマに五回の
連続講座、第三回目は、立正大学教授・日蓮教学研究局長・池上法養寺住職 小松邦彰師を講師にお迎えして、私たち日蓮宗教師が「伝える」べき内容について研修しました。
 なお、参加者以外の多くの教師の皆様に情報を「伝える」ため、毎回の講座の内容を報告書
を作成して配布いたします。


「伝える」ための実践講座 第4回 修法
                 平成16年1月23日(金) 午後1時〜4時
                             於 池上本門寺 朗子会館
                     参加者31名(南部18名、他管区13名)

第1部 講義 現場教師のための祈祷入門
                         講師:身延山大学学長 宮川了篤師

1.日蓮聖人の祈祷の原点「虚空蔵菩薩求聞持法」

    建長6年(1254)日蓮聖人が愛染明王と不動明王を拝見したときの体験を記した『愛染不
   動感見記』を見ると、日蝕のときに拝見した愛染が日輪の中に描かれ、月を意味する月桂
   樹や兎とともに不動明王が描かれている。これは日蓮聖人が、愛染・不動を日天・月天と
   して信仰していたことを意味する。では、なぜ立教開宗の翌年に日蓮聖人が愛染・不動を
   感得されたのだろうか。
    『覺禪抄』に「行者百箇日の間、持斎すべし」「後夜東方に向かいて、明星を拝し奉る
   べし。毎日の寅の時、明星の出る時也」「閼伽水は行者これを汲む。(中略)日蝕平旦にこ
   れを汲むべし。寅の時以前にこれを汲まず」、『伯耆公御房消息』に「明日寅卯辰の刻に精
   進河の水とりよせさせ給い候て、この経文を灰に焼きて、水一合に入れてまいらせさせ給
   うべき候」とある。これらの記述は、日蓮聖人が虚空蔵菩薩求聞持法を用いていたことの
   証しである。
                   『愛染不動感見記』日蓮聖人ご真筆 千葉・妙本寺蔵
 虚空蔵菩薩求聞持法は、日蝕・月蝕の日が満願になるようにその99日前に修行に入る。
暗いお堂にこもり虚空蔵菩薩の知恵をたまわるようにと、集中し真言を唱え、暗記力の鍛
錬をする。また、足腰が弱らないように、大声で真言を唱えながら山中を歩き回る。そし
て、満願の百日目の朝、太陽が上る前の東南の空に輝く金星=明星天子を土御礼を言上する。
これが虚空蔵菩薩求聞持法の作法である。荒行堂が百日間である根拠も虚空蔵菩薩求聞持
 法にある。
 日蓮聖人は清澄寺の虚空蔵菩薩の前で、虚空蔵菩薩求聞持法を修した。その満願の日が
建長5年4月28日、早朝清澄の森で明星天子に感謝言上、昇ってきた朝日に向かって立
教開宗を宣言された。祈祷から見た立教開宗は、かくのごときであったと私は考える。

2.日蓮聖人の祈祷作法

 伊東八郎左衛門への祈り
 「ことに当地頭の病悩について、祈せい申すべきよし仰候し間。案にあつかひて候。  然れども一分信仰の心を日蓮に出だし給へば、法華経へそせうとこそ思ひ候へ。」
                                 『船守彌三郎許御書』
  日蓮聖人は、伊豆流罪中に一分の信仰を見せた伊東の地頭伊東八郎左衛門の病平癒の祈祷をおこなった。病は治り、そのお礼にと海中から出現した仏像が差し出され、日蓮聖人の随身仏となった。
 「伊東の八郎ざゑもん、今は信濃のかみは現に死にたりしを、いのり活けて念仏者等になるまじ」                           『辨殿御消息』
   しかし、病気が治ると伊東八郎左衛門は念仏者になってしまった。日蓮聖人は一分の信仰しかない者への祈祷に相当懲りたようである。

  領家の尼への祈り
「精誠の起請をかいて、日蓮が御本尊の手に結いつけていのりて、一年が内に両寺は東条が手をはなれ候しなり。此事は虚空蔵菩薩もいかでかすてさせ給べき」
                                    『清澄寺大衆中』
 日蓮聖人は御本尊の手に訴状を結わえ付けて祈祷をされた。その場所は明らかではないが、「虚空蔵菩薩求聞持法」を修した清澄と考えるのが妥当ではないだろうか。

  悲母蘇生
 「されば日蓮悲母をいのりて候しかば、現身に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をのべたり」                          『可延定業御書』
   日蓮聖人は重病の母を見舞い、虚空蔵菩薩求聞持法・閼伽水の法で祈祷し、病は癒え寿命が4年延びたという。

  安達泰盛の依頼に拒否
 「されども此事は叶まじきにて候ぞ」             『大学三郎御書』
   安達泰盛は北条時宗の正室の父である。その泰盛が大学三郎を通して、日蓮聖人に病気平癒の祈祷を依頼してきた。しかし、一分の信仰者への祈祷は伊東八郎左衛門の一件で懲りていたこと、政治的なにおいを感じたことなどの理由で祈祷を拒否された。

 「五輪九字明秘密釈
 「懐胎のよし承り候畢ぬ。それについては符の事仰せ候。日蓮相承の中より撰み出して候」                         『四條金吾女房御書』
   ここで日蓮聖人は何を相承したのだろうか。虚空蔵菩薩求聞持法を集成した覚鑁が記した『五輪九字明秘密釈』を日蓮聖人は書写している。この五行の思想は、教・機・時・国・序の五義判や大曼荼羅などに大きな影響を与えている。

 3.祈祷の実際

 ・厄年について
   御遺文の中で日蓮聖人が厄年についてふれているのは3ケ所ある。四條金吾の妻33歳の厄の時『四條金吾殿女房御返事』、同じく37歳の厄の時『日眼女釈迦仏供養事』、そして大田乗明57歳の厄の時『大田左衛門尉御返事』(録外)。鎌倉時代、年齢の一の位が七であると厄年という概念があったといわれる。また当時、履物を人に施して厄を早くすり減らすとか、厄の年齢より一つ多い豆を煮て袋に入れて体をたたき厄を追い出すなどの厄落としの方法があったという。

  「撰法華経」について
   日蓮聖人が最蓮坊に宛てた書状『祈祷経』(現代では「撰法華経」と呼ばれている)はご真筆の存在しないこと、最蓮坊について疑問が多いこと、日朗門流にのみ相伝されていることなどから偽書ではないかといわれている。しかし、『祈祷経送状』の日蓮聖人の強い信念の込められた表現や、日像が京都弘通中に『祈祷経』に注釈を加えた『祈祷経之事』、日像の弟子大覚妙実の書状などから、私は『祈祷経』が日蓮聖人のお書きになったものであると考える。
伊字三点
 梵字の伊字が右のように変化したもの。
大曼荼羅の四方に勧請されている四天王の王の字に点を加えること、守護札に「奉」の字に「フヒ」を加えることなどは、伊字の三点が魔をはらう意味があるからである。
 伊字の火点、水点ということがあるが、
これは室町時代以降につくられた俗説で、烈火と水をあらわすと意味付けされたものである。
戒について
 日蓮聖人御達文の『戒之事』は日蓮聖人が立教開宗の翌年頃、ご自身の覚えのために五戒と五季・五大・五竜などとの関係を示した図録で、天台大師の『摩訶止観』、覚鑁の『五輪九字明秘密釈』が基本となっている。行学院日朝の『五行配当図』も『戒之事』をもとにあらわされたものである。日蓮聖人は『摩討止観』をもとに五行と人間の臓器経脈との関連を詳しく述べられている。荒行を重ねる者は『摩訶止観』を通読し、一つ一つの行の意味を理解する必要がある。

遠寿院日久の『指南覚書』
 中山法華経寺の日常は「祈祷においては先師の先例にならう」と日蓮聖人の祈りを相伝すると述べ、日高・日祐もそれに従ったため、祈祷は貫首にのみ相伝されるものであった。江戸時代になって祈祷の大衆化をはかるために、祈祷の器のある者に相伝されるようになる。遠寿院日久は七面山を7回登詣した間、雲切木剣の日順の指南を受けていたことが『指南覚書』からうかがうことができる。

木剣の歴史
 積善坊流木剣は、二枚の木剣を重ねた上に数珠をのせ、ぴっしと音を出したという。中山流木剣は多くの種類があったものが明治初年に七本木剣に集約された。現在の木剣に数珠を重ねて音を出す打ち方が考案されたのは、『法華験家訓蒙』の発刊年から明治17年〜20年の間であろうと考えられる。

明治期の法令と起請文
 「祈祷が医薬の妨げになってはならない」との法令が発布され、罰金刑まで課せられた。祈祷と医療の接点には、ぎりぎりの難しさがある。また、依代を使っての祈祷には大変な行が必要になる。宇陀那院日輝は達人以外は依代を使うなと述づている。行者が医療を越えて人を救うためには、命がけの覚悟が必要である。

優陀那院日輝
 時代に即応した宗学を樹立し後進を育成するために、金沢立像寺に充治園を建立した日輝は、一流の大学者であり一流の行者でもあった。あるとき、加賀藩主の生母の闘病平癒のため、水行で身を清め病を竹筒に封じ込めるという「筒封じ」の祈祷を一年間続けたという。日輝の著した『加持祈祷肝文抄』は現代日蓮宗祈祷の理念を提供したといえる。
第2部 ワークショップ 質疑応答

参加者からの質問に、宮川先生に答えていただきました。そのいくつかを紹介します。

九字を切る作法が始まったのはいつごろからですか?
今日の九字を切る作法は明治期に木剣に数珠を重ねて打つようになってからでしょう。

日蓮宗の祈祷は天台密教からきているのでしょうか?
仙応坊日慧が七面山にて千日の荒行を行なったことなどから、身延積善流は、千日廻峰行を想定して成り立っているといえるでしょう。

修法師以外の教師が祈祷をする際の心構えについて教えてください。
修法という作法・形は修法師でなければできない。しかし、祈願・祈祷は修法師でなくてもできる。日蓮宗の祈祷は巻数経である。中山日祐は部経を数千回読んだという。お経をあげてあげてあげまくる。そうすれば木剣がなくても祈祷はできる。

天台真言(台密)で「理同事勝」といいますが、この「事」は祈祷作法(九字を切るなど)も意味しているのでしょうか.
祈祷の「事」を認めた場合、その後に成仏が約束されなければならない。現世安穏は祈祷の「事」であるが、その後の後生善処は祈祷とはまったく別の問題である。

閉眼について教えてください.
仏像の場合は一念三千の妙土、久遠の本仏の旧里にお返しするという理念に基づいて行なえばよい。しかし、稲荷の閉眼は難しい。稲荷の宮を壊しても孤精まだ住んでいる。孤精を捨てた者には野孤の障りが出る。
・祈祷には教学はない。祈祷には理念あるのみ。
・一流の大学者は、一流の行者である。
・祈祷は経力、日蓮宗の祈祷は巻数経。

お経を数多く読んでいれば木剣がなくても祈祷は出来る。
                     宮川了篤

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