伝える…次世代へのアプローチ

日蓮宗東京都南部宗務所
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「伝える」ための実践講座 第3回報告
主催;
日蓮宗東京都南部宗務所
企画;東京都南部教化センター
共催;東京都南部 布教師会・修法師会・社会教化事業協会・声明師会

 東京都南部宗務所では、平成15年度日蓮宗布教方針「伝える一次世代へのアプローチ」を
念頭に、現場の教師同士でいかに「伝える」かを話し合う機会として、「『伝える』ための実践
講座」を開講することになりました。法要・法話・教学・修法・社会教化をテーマに五回の
連続講座、第二回目は、北九州市真浄寺住職 中村潤一師を講師にお迎えして、どのように法話を用いて壇信徒のハートに「伝える」かを研修しました。
 なお、参加者以外の多くの教師の皆様に情報を「伝える」ため、毎回の講座の内容を報告書
を作成して配布いたします。


「伝える」ための実践講座 第3回 教学
                 平成15年11月14日(金) 午後1時〜4時
                             於 池上本門寺 朗子会館
                     参加者21名(南部19名、他管区3名)

第1部 講義 法華経を「伝える」の基礎知識
                         講師:立正大学教授 小松邦彰師

 「伝える」ためには、その内容と方法が必要です。「どうやって伝えるか」という方法は、現
場の教師それぞれが考えることです。今回は、「伝える内容」=法華経の思想と日蓮聖人の法
華経観について小松邦彰師にご講義いただきました。

1.法華説法の目的
 欲令衆の「一大事因縁」において仏がこの世に出現された唯一の大目的が明らかにされる。すべての衆生に諸法実相の理を悟る仏知見(仏の智慧)を「開示悟入」させることが、釈尊だけでなく一切の諸仏の出現の目的、出世の本懐であると示される。
 また、序品では十界の諸仏、諸天善神、諸の衆生すべてが聴衆として網羅されている。これも一切衆生の救済を目的として法華経が説かれた証しである。
 さらに日蓮聖人は『一代聖教大意』において、法華経が釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏の教法である事を明らかにされる。日蓮聖人は、法華経が特に末法の衆生救済のためにとかれた教えであると受けとめ、弘経の道を歩まれたのである。

2.法華経の構成
 法華経を二門六段に分類すると、迹門に五品、本門に十一品半のあわせて十六品半、すなわち約六割が流通分という特色をもっている。流通分には、滅後における法華経受持の功徳利益、流布の様相、実践の行軌などが、後世に布教する弟子への付嘱によせて説かれている。白蓮聖人はこの点に注目し、滅後末法の法華経弘通にあたっては、流通分の経文を鏡として定めなければならないとされた。
 さらに法華経を「逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す」(『法華取要抄』)と述べ、法華経は「末法を以て正と為す」(同)という独自の法華経観を樹立された。逆次読むとは、寿量品を中心とし流通分の心をもって法華経の心を読むことでる。法華経は釈尊の現在に立たれて説かれたものであるが、法華経の説く未来とは、末法の現在にあるとらえたところに生まれたのが、末法為正の法華経観である。
 日蓮聖人の本化上行の自覚と末法救済の導師としての不惜身命の法華経弘通とは、本迹二門にわたる流通分の教説に基づくものといえる。


3.法華経の思想
 法華経の根本思想は「開顕」(爾前経において秘されていた仏の本意を顕し出すこと)にある。この開顕の理を譬喩・因縁で説いたものが「法華七喩」である。日蓮聖人は、これを二乗作仏と久遠実成の二大法門として説かれている。
 二乗作仏
 声聞・縁覚・菩薩の三乗に対してそれぞれの修行法や悟りを示して特別扱いをしてきた爾前経の教えを開いて、一仏乗こそが仏の本意であると顕した教えを「開三顕一」という。 三乗の差別を取り除き、仏の真実を顕す「開三顕一」によって、仏の教え(法)が法華経に統一されたのである。(法の統一)
 声聞・縁覚の二乗は、爾前経においては炒った種が芽を出さないように、成仏できないとされてきた。ところが、法華経において釈尊はこの二乗に授記をして成仏するとの保証を与えた。(二乗作仏)すなわち、この世において法華経に巡り会えているのは、前世において釈尊のもとで修行を積み、再び人としてこの世に送り出していただき、そこで法華経を未だ知らない人のために説いてあげたいという本願を立てたからだというのである。
 そして、法華経正宗分を三段に分けて、上根の舎利弗、中根の四大声聞、下根の声聞たちに、それぞれ法説・譬喩・因縁の三周に反復して仏が説法し、すべての人々に納得させて記別をあたえた。(三周説法)
 さらに、提婆品では爾前経で成仏できないとされた悪人と女人の成仏を説き、勧持品では諸の比丘尼に記別を与え女人成仏を実証し、常不軽品では誘法者の成仏を説き、一切衆生悉皆成仏を明確に示す。 大事なこととして、爾前経に二乗作仏がないのは、久遠実成・一念三千の理念がないためだと理解しておかなければならない。

久遠実成
 釈尊がブッダガヤではじめて成道したのではなく、実際には久遠の昔からすでに成道しており、それ以来常に衆生に説法し続けていると無始無終・常住不滅の本仏が顕された。(開近顕遠)その久遠実成の仏は、すべての仏を統一する本仏であることが寿量品の「六或示現」で顕される。日蓮聖人は『開目抄』はじめ多くのご遺文の中で、寿量品の釈尊を一切の諸仏を統一する本仏と定め、本尊と仰がれた。(仏の統一)
 さらに『観心本尊抄』で「今本時の裟婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり」と説いて、本仏釈尊の住する裟婆世界こそが久遠の仏土であるとの本国土観を示された。この久遠実成の本仏釈尊は、常に娑婆世界にあって衆生を教化し、利益し続ける寿命無量の仏であって、しかもわれら衆生は久遠の釈尊の愛子として、久遠本仏に帰命すべきことを説示している。

一念三千
 一念三千とは、我々凡夫の一念にも三千世間(全宇宙の現象)がそなわっているという意味で、法華経だけがもつ究極の法門である。煩悩の中にも仏性(仏と等しい性格)があるとすることによって、人々が成仏できる根拠とされる。天台大師が創唱した一念三千は、方便品の十如是と華厳経の十界と大智度論の三世間を相乗することによって三千世間となる。この三千には善も悪もすべてが含まれているから、誰もが仏になる可能性があるということである。さらに、天台大師が仏の境界を目指し完成させたのが、一念三千に思念をこらす修行(止観行)、つまり智慧によって心を観察し悟りにいたる観心の修行である。
 それに対し日蓮聖人は、観心の修行は末法の衆生にはできないものであるとし、題目五字を受持する信心による悟りの世界を示された。すなわち、一念三千の意味が法華経本門の寿量品によってはじめて明らかになると説く。寿量品で久遠実成の本仏が顕され、仏の加護が永遠に働き続けており、これによって真の成仏が可能になるとし、これを本門の一念三千とした。そして、本仏親尊の久遠以来の衆生救済の菩薩行とその功徳とは、本門の教法である妙法五字(妙法蓮華経)という題目にそなわっているから、我々凡夫は妙法五字を受持することによって、釈尊の因果の功徳を自然に受得すると説く。つまり、本門の一念三千の修行とは南無妙法蓮華経と唱えることであり、唱題によって釈尊の救済の世界につつみこまれ、成仏が実現するとしたのである。日蓮聖人は、天台大師の理の一念三千の観法の実践を、信を媒介として妙法五字の受持唱題という信心行にしぼり、これを事の一念三千とし、末法の行法としたのである。

誓願
@三仏(釈尊、多宝、分身)の誓願=令法久住
 十方分身の諸仏が、諸の浄土および所化の衆や諸の供養の事を捨てて、この裟婆世界に来集したのは、この妙法を未来永遠にわたって存在せしめんがためであると説いた。その真意は、十方分身諸仏の来集も、多宝仏の涌現も、釈尊の応現化導も、皆この法華経を裟婆世界に永遠に存在させることにあった。しかもそれは釈尊一仏だけではなく、釈迦・多宝・分身諸仏の三仏の約束であることを示すものである。さらに寿量品で久遠実成の本仏が開顕され、本仏の姿婆常住、三世常住を説いている。このように法華経は久住の法と常住の仏を説示したところに特色がある。
 日蓮聖人は『報恩抄』にて「日蓮が慈悲広大ならば南無妙法蓮華経は万年のほか未来までもながるべし」と述べて、本化上行の応現である日蓮聖人の弘通する南無妙法蓮華経の題目は、末法万年を超えてなお未来永遠に流布する久住の法であることを説く。

A日蓮聖人の誓願=仏の未来記→色読→受難→三大誓願
 法華経は、法華経こそ唯一真実の教えであると知った者に対し、如説修行の実践を命じているのである。法師品の「況滅度後」、宝塔品の「六難九易」、勧持品の二十行の偈「三類の強敵」など、法華経には滅後において法華経を信行し弘通するものに対し、種々の迫害が加えられることを予言している。日蓮聖人はこれらを仏の未来記として受けとめ、自己の法華経弘通と値難忍受の宗教活動の支えとしたのである。さらに常不軽品の不軽菩薩の化導(但行礼拝)を末法の謗法者充満の時代における法華経弘通の方軌を説示したものであると受けとめ、末法の日本国において一切衆生救済のため弘教を実践したのである。
 そして日蓮聖人は、末法の法華経修行者として法華経を経文どおりに実践し、それに伴なう数々の受難を体験する。仏の予言、未来記たる経文と自らの体験を重ね合わせ、受難が法華経色読を意味し、法華経の行者としての真実性を証明する現証であるとして、法華経の行者の自覚を確立し、確信を深めていったのである。仏に予言された末法の導師、本化上行菩薩の応現であることを明らかにした日蓮聖人は、「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ」と三大誓願を発表したのである。

四信五品
 四信五品とは、分別功徳品に説かれる、現在の四信(仏の在世、説法の会座にある者の信行の浅深の段階、@一念信解、A略解言趣、B広為他説、C深信観成)と、滅後の五品(仏滅後の行者が残された経典を受けて、いかに実践するかを説いた五つの段階、@随喜品、A読誦品、B説法品、C兼行六度品、D正行六度品)のこと。
 日蓮聖人は四信の中の初信(一念信解 寿量品の教えを聞いて一念(わずかな心)でも信心の心をおこす位)と五品の中の初品(随喜品、滅後に寿量品を聞いて喜びの心を起こす位)をもって他を止め、信心為正の末法の妙行を立てた。日蓮聖人は凡夫の一念の初心、最初の随喜の心を末法の法華経行者の肝要として絶対視し、この「信」に成仏の依処をおくのである。

女人成仏(質問に答えて)
 提婆品の竜女成仏の段に、文殊師利菩薩が竜宮において法華経を説き八歳の竜女を成仏さたと聞いた智積菩薩と舎利弗が、爾前・小乗の立場から女人成仏に疑問を発したとき、竜女が「忽然の間に変じて男子となって、菩薩の行を具して、即ち南方無垢世界に往いて宝蓮華に坐して等正覚を成じ」、女人成仏・即身成仏の現証を示したことが説かれている。「変成男子」とある故に、法華経の女人成仏を男子に転生しての成仏であり、男女差別でぁるとする者があるが、これは誤りである。すでに変成男子以前に、文殊の教化によって竜女が女身・畜身・幼児のままで悟りを得て仏になっていたことは経文に明らかである。

 私たちは、日蓮聖人がお読みになった法華経の教えをご遺文を通して学び、多くの人々に伝え、共にすべてを包みこむ本仏の救済を信じ、妙法五字の受持に努めなければならない。
                        小松邦彰
第2部 ワークショップ

 参加者が二つのグループに分かれて、講義の復習をしながら「伝える」べき内容について話し合いました。
 
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